豊臣秀吉の豊国神社と豊国廟

豊国神社(とよくにじんじゃ)

京都国立博物館の北側(裏手)に豊国神社があります。
私はこの神社の前を何回か通ったことがありますがよく知りませんでした。
9月8日(金)午後6時半からのNHKテレビ京都「京いちにち」で
豊国神社が紹介されていましたので、23日に訪ねてきました。

豊国神社は戦国の世を統一し
庶民から天下人に上り詰めた豊臣秀吉が祭神です。

秀吉は大坂城を築城しましたが
実際には京都の聚楽第(じゅらくだい)や伏見城を拠点に活動。
洛中の土塁で囲む「御土居(おどい)」の構築や街区の再編成
寺院の移転など戦乱で荒れ果てた京の都市改造に取り組みました。
公家で実質最高位の関白から隠居して太閤となり
晩年を過ごした場所も伏見城でした。

豊臣秀吉は慶長3年(1598)8月18日伏見城で62年の生涯を終え、
遺命により東山連峰の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)に埋葬されました。
阿弥陀ヶ峰の標高は196mです。

翌年慶長4年には山腹の太閤坦(たいこうだいら)に
日本最初の権現造りで壮麗にして雄大な社殿の造営がなされ
後陽成天皇により「豊国大明神」の神号を与えられ神として祀られました。

その社殿は豊国社(とよくにのやしろ)と呼ばれ
境内の広さは約30万坪(約100万㎡)で東京ドーム21個分もあり
当時の規模祭事の盛大さが想像できます。

しかし、豊臣家滅亡後この豊国社は徳川氏の手によって
完全に破却され以後250年の長きにわたり
草むらに埋もれて跡形もなくなってしまっていました。

しかし明治維新に至り
明治6年明治天皇のご沙汰により
別格官幣社に列せられ
明治13年(1880)旧方広寺大仏殿跡地に
復興されたのが現在の豊国神社です。

神社正面石鳥居(最初の写真)をくぐり参道を進むと
前面に見える大唐門(左上の写真)は伏見城の遺構で
国宝に指定されています。

右上の写真は境内にある豊太閤遺品・業跡展示の宝物館です。
新日吉(いまひえ)大権現と書かれた秀吉の自画像入り掛け軸があり
数え8歳になった息子秀頼の愛らしい手形も残されています。

他にもお気に入りの加藤義明に預けた秀吉の歯
悪夢を食う架空の動物をかたどった太閤愛用の獏御枕(ばくおんまくら)
小田原の北条氏征伐を京都の右大臣今出川晴季ら朝廷に伝える書状など
豊太閤ゆかりの品々が多く並んでいますが
建物の中は古くて薄暗く歩くと
床がギシギシと音を立てていました。

秀吉は当時少数派だった恋愛結婚だったことから
良縁成就で結婚式を神社で挙げる若いカップルも多くなっているそうです。
私が尋ねた日も結婚式が挙げられていました。

豊国神社では毎月8日18日28日にフリーマーケットが開かれます。

耳塚

豊国神社正面石段下約30mの左側に
小高い丘陵の上に高さ約5mの五輪塔があります。
朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄・慶長の役の際
豊臣の武将たちが首級(討ち取った敵の首)の代わりに
鼻(耳)を持ち帰ったものを、
異人とはいえ国難に殉じた兵士の霊を厚く
とむらうべしとしてここに塚を築いて埋葬しました。

耳塚の写真を撮ろうとしたら
韓国の若い女性観光客6人が自転車でやってきて
この耳塚の案内板にある韓国語の説明を読み始めました。
そのため私は写真を撮るのを中止。
この写真は彼女たちが去った後に撮りましたが
彼女たちはこの耳塚を見てどのように思ったのでしょうか?

豊国廟(ほうこくびょう)

豊国神社参拝のしおりに豊国廟の
説明も記載されていましたので
行ってみることにしました。

京都国立博物館の東側の東大路から
智積院と妙法院の間にある女坂(上の写真)
を登って行きました。

朝夕に京都女子大学や付属女子中高へと
大勢の女子学生や生徒が上り下りするため
その通学路は「女坂」と呼ばれています。
女坂の入り口には「豊国廟参道」の石柱があり
豊臣秀吉の墓である豊国廟への道として使われていました。
(上の写真の左側の石柱ですが少し暗くて字が読み難いです)

女坂の途中左側に外資系富裕層向けの
フォーシーズンホテル入り口があります。

上の写真が豊国廟の入り口でその奥に階段があります。

左上の写真は下から階段を写しました。 右上の写真は上から階段を写しました。

中門をくぐると左上の写真のように次の階段あります。
右上の写真は登り切った上から階段を写しました。
階段数を数えながら登っていましたが
途中で膝ががくがくして脚が疲れ
休憩しながら登りましたので
階段数を数えることができませんでした。

豊国神社参拝のしおりによると565段とあります。
この石段周辺は桜や紅葉の名所です。
1996年NHK大河ドラマ「秀吉」のオープニングに
この階段が使われましたが
ここにあること初めて知りました。

山頂には高さ約10mの巨大な五輪の石塔がありました。
私が山頂に着いた時に30歳ぐらいの女性が一人いましたが
下りる時にも中高年の女性が一人で登ってこられました。
木々の間から京都の街が見えますが
女性一人では怖くないのかと思ってしまいました。

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